歴史

設立までの経緯

東京在住インドネシアのクリスチャンが初めて集まって礼拝をするのは「在日インドネシアクリスチャンファミリー(KMKI)」という集まりとしてでした。当初KMKIは、プロテスタント・カトリックの宗派を問わず月一で礼拝を行っていました。その後、主イエス様の恵みと聖霊様の導きにより、プロテスタントの兄弟姉妹が毎週礼拝をするようになりました。

そんな中、1989年にインドネシアでの17年間の宣教奉仕を終えた安海靖郎牧師一家が日本にご帰国されました。それを機に、後の役員代表を勤めるTiwow Mamoto兄弟の住まいでプロテスタントの集会の今後の活動について話し合う会議が何度か行われました。そして1989年7月19日に、インドネシア本国のどの教会組織にも属さずインドネシア語で礼拝するプロテスタント教会の設立が決定されました。その会議に出席したのは、安海靖郎牧師、Tiwow Mamoto夫妻、Ronny Makasutji兄弟, Sumakud兄弟, Soeparman兄弟, M.Silaen兄弟, Doortje Seto姉妹,J.Sampekalo兄弟, Andoko兄弟, Monica姉妹, Henny 姉妹、Tamatsukuri兄弟です。設立当時は、東京福音教会の傘下で礼拝活動をしていたため、「東京福音教会インドネシア」(Tokyo Fukuin Kyoukai Indonesia)、略してTFKIと呼ばれるようになりました。その後の教会の歩みの中で、東京福音教会の組織から独立しました。

最初の礼拝

東京インドネシア福音教会の最初の礼拝は1989年8月27日午後5時から、新宿にあるパソコンスクールで行われました。この最初の礼拝での聖書メッセージは安海靖郎牧師によるものでした。

インドネシア福音教会への名称変更

神様の導きにより、1998年12月26日に安海靖郎牧師の住まいで行われた教会役員会議で、教会の定款が定義されました。定款が定義されたことによって、インドネシア語の正式名称は「Gereja Interdenominasi Injili Indonesia (GIII)」(インドネシア越教派福音教会)となりました。日本語の正式名称はそれまでの名残で「インドネシア福音教会」となりました。

本部役員会の設立

2002年8月14日に、より多くの在日本インドネシア人クリスチャンへと奉仕を広げる目的で、新しい定款が定義されました。それにより、東京のみならず日本の各地域での地方教会を設立・運営する仕組みができました。そして、地方教会をとりまとめる組織としてインドネシア福音教会本部役員会が設立されました。

地方教会・集会

神様の導きにより日本の各地域にインドネシア福音教会の傘下でいくつかの集会が開かれるようになりました。その中のいくつかが教会として設立されました。
今まで開かれた集会・教会は以下のとおりです。
1997年3月に茨城県大洗市で大洗集会が最初の礼拝を行い、その後「大洗インドネシア福音教会」となりました。
1999年12月30日に三重県鈴鹿市にある集会が正式に「鈴鹿インドネシア福音教会」となりました。
2000年11月18日に群馬県高崎市で群馬集会が最初の礼拝を行い、2003年に正式に「群馬インドネシア福音教会」となりました。
2001年2月11日に長野県岡谷市で長野集会の最初の礼拝が行われました。
2002年に愛知県西尾市で、西尾集会が始まり、2004年に「西尾インドネシア福音教会」となりました。
2003年に茨城県水海道市で最初の集会が開かれました。その後名称を「南茨木集会」となり今に至ります。
同じく2003年に、静岡県浜松市で最初の集会が開かれました。2005年に正式に浜松インドネシア福音になりました。
2010年4月4日に西東京集会の最初の礼拝が開かれました。

日本福音教会の傘下入り

2003年に、インドネシア福音教会はインドネシア部門として日本福音教会の傘下に正式に入ることを認められました。